肥毒
あまり聞きなれない言葉だと思います。
これは土の中に存在する
作物を生産する際に障害となるものの総称です。
自然栽培では肥料を施すことによる害の現れという扱いです。
現代の農業は土を無視した生産方法が取られています。
土は植物の根を支えるだけのものという扱いです。
だから肥料で作物を作るという考えなんです。
現代農業の大きな間違いなんですが、気がつかないというか
肥料農薬を売るための生産方法だと言えます。
土に投入する肥料は計算しながらやられているけど
その計算は大丈夫なのか?
自然の流れに反していないのか?
野山に自然に湧き出す草や木は何を養分として成長しているのでしょう?
そこには自然界に決まったルールが存在し
その流れに沿っている生態系が作られています。
その流れを知ることで人間の目標とする生産物に育ってもらおうというのが自然栽培です。
人間が介在する時点で自然とは言えないものですが
より自然に近い状態を生み出そうとしているのです。
分業が定着した現代に農を行い、そしてそれを仕事としていくことが出来る事を目標にしたのが自然栽培です。
自然栽培は自分だけでなく、他の人の食を扱う仕事として行われているのです。
慣行の農業では土をただの支えに考えているので
土の状況を考えていません。
考えていないと言うと違うと言われそうですが、植物が必要とする養分を肥料として与えるので考えることは何が足りないのか?です。
自然栽培では土の機能が発揮されれば過不足が無くなってくるので
余計な事をしない方向になります。
その代わりに微妙な状況を感じとって手助けをします。
それが感じ取れるようになればやることは減っていくのです。
いかに手を加えないで自然の流れに任せるかです。
慣行から自然栽培に移行したいと思った時
必ずぶつかる問題があります。
それが肥毒です。
肥毒は慣行で与えてきた肥料の中の余分なものが残って自然の土に帰るのを邪魔します。
自然の循環も遮ってしまうので、土の機能は発揮されないのです。
土の機能はそこに存在する循環の一部を担った生物が機能することで発揮されます。
肥料や農薬を入れてきた土ではその機能が極端に落ち
不活性化した状態での塊を作ります。
その塊こそ肥毒です。
最近では有機肥料と称して厩堆肥などを投入したりしていますので
土自体が腐敗方向に働くようになり
作物が腐敗しやすい状態になっていきます。
以前出されている腐敗実験を見れば解ると思いますが
すぐに腐敗するものを体に入れたらどうなるのでしょう?
食べたいですか?
これらは菌による働きが大きな原因ですが
土も菌の状態で健康になっていきます。
それらを上手く利用したのが日本の昔ながらの発酵技術です。
味噌も醤油も納豆もその典型的な例です。
土もそこにいる土壌菌が正常に働いてくれれば
そこで育つ作物は腐敗しない健康なものができます。
肥料や農薬を使う土では土壌菌は正常に働かないのです。
そこで考えたのが肥毒の除去です。
どうやったら肥毒を取り去ることができるのか?
私は肥毒を抜き去ろうと5年もの間格闘してきました。
なかなか抜けないのです。
抜けないとどうなるかというと
虫食いにやられたり、成長しなかったりと大変な目に合います。
土の中に出来た肥毒は吸肥力の強いものを作ることで抜いていきます。
麦とか大豆などを組み合わせてやるのです。
時間がかかり、何年も苦しみます。
抜けてくるとある時期から急にいいものが出来てくるようになります。
それをやり続けると自然の循環が戻ってきて
ちゃんとしたものが出来上がってくるわけです。
作物が腐敗に向かうものから発酵にむかうものに変わってくるんですね。
自然栽培に向かって一番の壁が肥毒なんです。
どうにか出来ないものか?
ずっと悩んできた問題です。
これを克服しなければ自然栽培は広がらない。
本当にいいものを世の中に提供するに大きな壁となってきていたのです。
私の圃場ではある程度の対策と時間をかけてきたのでかなり抜けてきています。
しかし、この時間は生活をするには非常に厳しい時間でしかありませんでした。
まともな生活ができないでは自然栽培は出来ない。
何度も心が折れそうになりました。
その苦しみを抜けなければ自然栽培に行きつけないのだろうか?
ようやく抜け出しつつある自分ですが
後につながる人たちは出てくるのだろうか?
同じ苦しみを味わわないといけないのだろうか?
今それを解決できる方策を求めています。
いろんな方向から考えて、ようやく光が見えてきました。
この苦しみを解決できるのはそれを味わった人間でしか出来ないと思います。
その苦しみを知らなければ、対策は作れないからです。
簡単に出来ると考えた人もたくさんあるでしょう。
簡単に考え出来なかったら引けばいいだけですから、ある意味簡単です。
それでは自然栽培は広がらず、本当に安全なものは手に入らない。
今年はそれを克服できるかもしれない年です。
試験を始めています。
近くにいい結果がお知らせできるようになることを祈って頑張っていきます。
肥毒の克服は私の悲願であるのです。